芸者・・・
>> 伝説の芸者・・・
松山検番の発展に多大な功績を残された方の紹介です。
■お友姐さん(村上キワエ)

明治十三年(一八八〇年)十二月二十五日、越智郡大山村泊の生まれ。広島、大阪で芸事全般の修行を積んだ後の昭和二十一年(一九四六年)五月、戦争によって解散状態にあった「松山検番」を復活させる。数人だった芸妓を六十人規模に発展させ、長唄・小唄・端唄・清元・日本舞踏を後進に指導、邦楽の水準を高めた。正調伊予節を守り、県外観光客に美しいのどを聞かせたとされる。政友会の政治家たちが利用した梅の家の座敷が戦前の活躍舞台。昭和四十八年(一九七三年)一月三十日、没。亡くなった時の肩書きは「松山検番顧問」。朝湯、朝酒を好み、ぬか袋で洗顔をし、明治の女らしさをいつも身辺に漂わせ、芸一筋に生きました。
■一平姐さん(山代屋トヨ子)
明治四十二年(一九〇九年)九月一日、山口県岩国市生まれ。八つの時に、父を亡くし、三人の子供を連れた母が松山へ来て再婚した。道後温泉街で見た芸者の艶やかな姿にあこがれて芸妓の道に入る。芸名は、当時人気のあった漫画家岡本一平にあやかった。
昭和二十一年には、お友姐さん、米千代姐さんらと共に戦後の松山検番の復活に貢献、伊予節の保存伝承につとめた。伊予節は、転勤節とも呼ばれ、節回しが難しく、覚えた頃には転勤するとされ、土地の人でも、正調伊予節を唄える人は少ない。伊予節を通じた郷土民謡の発展に尽くした功績が認められ、昭和五十五年十一月、松山市民表彰を受ける。同年、文化庁主催の芸術祭特別公演「日本民謡まつり」に出演、東京国立劇場にて正調伊予節を披露しました。