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歴史・・・

>> 管理人より・・・

 「松山検番の歴史」のなかで触れたような、かつてあった芸者の悲しい一面を書き記すことには、少なからずためらいと勇気が必要だったことは否定できません。しかし、良いものを残そうとすると、そこには必ず覆いたくなる事実も存在する事を、もう一方で否定できませんでした。
しかし、明治以降は芸者が金銭で束縛されることもなくなり、芸者は芸道一筋の色合いを強めていきました。さらに現在では伝統芸能の保存・継承のために活躍するという場面が多くなっているようです。かつてのひそやかな、それでいて華やかな世界が、日本の伝統文化を世界に発信するという形で、再び花開こうとしているのです。

 芸者にどのようにしてなったか・・・確かにそのプロセスには時の事情を色濃く反映した事情背景があったとしても、ひとたび芸者となったからには、その存在はいつの時代においてもひときわ輝くものであり、また、いかに時代が移り変わろうと常に時代を先取りする存在であったことに間違いはありません。
そして今、この松山に生きる「松山検番の芸者」は、今の日本の日常では決して目にすることもなくなった古めかしい「日本髪」や裾の長い「着物」を身にまといながら、あるいは日本の伝統的な音楽と舞踊を通じて、その存在と忘れかけられた日本の美を世界に発信しようとしているのです。

 松山検番にも若い芸者さんがいます。この若い芸者さんが、時代の大きな渦の中で消えそうになっている自分たちの文化と言語を守ろうとしているチベットからの留学生を招いて開かれた交流会の中で、地元・松山の大学生の皆さんに向けて次のような挨拶をしたことが、とても印象的でした。
 「どうか皆さん、ここにお集まりの皆さん。この松山に今、無くなろうとしている『芸者』の文化を残そうとしている若い私たちがいることを覚えておいてください。私たちもつい最近まで、皆さんと同じ大学生でした。その私たちが気づいたのです。残したいと思うものは、努力して残そうとしなければ決して残らないのだと…。」

松山検番はかつても今も、そして未来においても、日本の伝統的な美しさと松山に残る文化芸能を伝え、そして次の時代につなげていこうとしているのです。




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